古代ローマ時代について
私は歴史を知るのが好きです^^
でも、ふと、疑問に思ったことが…
古代時代っていつからいつまで?
今回は、古代時代の中でも「古代ローマ時代」について調べてみました♪
さらに、始まりから終わりまで簡単ではありますが、お話させて頂きます^^
ご覧ください。
古代ローマ時代っていつからいつまで?
まずはじめに、この古代ローマ時代の区切りは諸説あります。
今回は一般的なものについてお話させてもらいます。
一般的に古代ローマ時代は、ローマ建国された紀元前753年から西ローマ帝国が滅亡した紀元後476年までが、「古代ローマ時代」とされています。
古代ローマ時代の中での大まかな区切りとしては・・・
・ローマ建国(紀元前753年~紀元前509年)
・共和政ローマ(古代ローマ共和国)(紀元前509~紀元前27年)
・ローマ帝国(帝政ローマ、ローマ帝政期)(紀元前27年~紀元後476年)
・西ローマ帝国滅亡 (紀元後476年)
上記のようになります。
では、古代ローマ時代がどのように始まったのか簡単にお話しますね。
ローマ建国のはじまり
古代ローマ時代が始まったのは、伝説としては紀元前753年とされています。
そのローマを建てたと言われているのが、双子の兄弟です。
二人の生い立ちと建国までお話しますね。
兄弟の名前は、「ロムルス」と「レムス」。
この双子の兄弟は狼に育てられたと言われていて、ローマ建国神話に登場する人物です。
双子は(父)軍神マルスと(母)レア・シルウィアの間に生まれました。
しかし、王位継承の争いに巻き込まれ、双子の兄弟は(アムリウスの命によってティベル川に流されてしまったのです。
このアムリウスが何者か・・・
双子の(母)レア・シルウィアのお父さん、ヌミトルの弟になります。
つまり、弟による王位簒奪です。
アムリウスは将来自分が王位に就いた時に、自分を脅かしそうな人物、王位継承者であるヌミトルの男子も殺害させたのです。
そして、(母)レア・シルウィアを「ウェスタの巫女」とすることで、ヌミトルの王位継承を継ぐ子供を産めないようにしたのです。
(「ウェスタの巫女」…子を作ることが許されていなかった。)
しかし、しばらくして(母)レア・シルウィアは軍人マルスとの子を身ごもります。
それが、ロムルスとレムスになります。
ティベル川に流されてしまう二人ですが、運よく岸に着きそこで狼に育てられと言われています。
そして、のちに養い親となる人に拾われ、二人は立派に成長します。
やがて牧夫たちの指導的立場になると、しばらくして羊飼い達と諍い(言い争い)が起こってしまいます。
なんと、この羊飼い達あの「ヌミトル」の羊飼いなんです!
あるとき、レムスが羊飼い達に拉致されヌミトルのもとへ連れ去られてしまいます。
当然、ロムルスは助けるべくレムスのもとへ向かおうとしますが、このときに、養い親から自分たちの出生の秘密を明かされます。
自分たちがヌミトルの孫であるということを。
自分たちの出生を聞かされたロムルスは、ヌミトルのもとへ向かいます。
そして、ヌミトルのもとで双子が本当の孫であることが証明され、二人はヌミトルを再び復位させるべくアムリウスに立ち向かいます。
やがて、アムリウスは双子に敗れ、ヌミトルが復位しました!
そのとき、双子は自分たちが捨てられた土地に都市を建てる計画をします。
(計画の時に兄弟で対立してしまい、レムスが破れてしまうのですが、ロムルスが弟を手厚く葬り、都市建設をします。)
それが、「ローマの建国」、古代ローマ時代の始まりとなります。
古代ローマの始まりは以上です。
では、続いてローマ共和政に行きましょう♪
共和政ローマ(古代ローマ共和国)
共和政が終わるまでについて、有名な事柄だけを抜粋してご紹介します。
紀元前509年、エトルリア人の王を追放して、共和政が始まりました。
この時のローマは、イタリア中部から地中海全域を支配するまでになっていました。
この時代の間に「共和政」が形成されていくのですが、たくさんの法が制定されます。
きっかけは、平民が貴族の政権独占に不満を持ち事件が起こしたことです。
紀元前494年…護民官設置(平民会から選出され、高い地位を持っていた)
紀元前472年…平民会設置(平民だけで構成する民会)
紀元前450年頃…十二表法(平民の権利が法によって守られる)
紀元前367年…リキニウス・セクスティウス法(平民と貴族との格差をなくす為の法案)
紀元前287年…ホルテンシウス法(平民会の議決をそのまま国法化できる)
このように、平民でも政治に対して意見を言える、法を制定することができるようになったわけですが…
共和政を揺るがす問題が起こったのです。
それが、ポエニ戦争です。
ローマが支配領域を拡大するために起こった戦争です。
・第1回(紀元前264年~紀元前241年)
・第2回(紀元前218年~紀元前201年)
・第3回(紀元前149年~紀元前146年)
そしてこの結果、状況が悪化することになったのです。
貧富の格差
・ラティフンディア(大土地所有経営)により貴族が没落、もしくは平民がのしあがる
・ポエニ戦争で疲弊した中小農民の没落に拍車をかけた
無産市民の流入
・没落し、土地を失った市民が保護を求めて、ローマへ流れ込んできた
ここから、ローマは「内乱の1世紀」と呼ばれる時代になります。
・グラックス兄弟の改革(紀元前133年~紀元前122)
→改革は失敗に終わり、さらに共和政の再建が困難に…
・同盟市戦争(紀元前91年)
・ミトリダテス戦争(紀元前88年)
・スパルタクスの反乱(紀元前73年)
→この3つの戦いが、将軍同士がローマの覇権を目指して争うきっかけとなりました。
・第1回三頭政治(紀元前60年~53年)、第2回三頭政治(紀元前43年)
→3人の実力者による政治が2回行われました。
第2回目に出てくるオクタウィアヌスが政権を握り、内乱の1世紀が終わります。
ここで共和政ローマは終わりです。
では、ローマ帝国へと移りましょう。
ローマ帝国(帝政ローマ、ローマ帝政期)
・紀元前27年、オクタウィアヌスが「アウグストゥス」の称号を授与され元首政が始まります。
五賢帝時代(紀元後96年~180年)
ローマ帝国時代に最盛期を迎えた時期です。
その時に即位した5人の皇帝を総称して「五賢帝時代」と言います。
・ネルヴァ(位96年~98年)
・トラヤヌス(位98年~117年)→この時、帝国領土が最大になります。
・ハドリアヌス(位117年~138年)
・アントニヌス=ピウス(位138年~161年)
・マルクス=アウレリウス=アントニヌス(位161~180年)
軍人皇帝時代(235年~284年)
約50年間の間、軍人出身者によって廃立が続きます。
この時代を「軍人皇帝時代」と呼びます。
ディオクレティアヌス(位284年~305年)で、軍人皇帝時代が終わります。
専制君主制開始(293年)
テトラルキア(四帝分治政)導入し、正帝と副帝で統治が行われていました。
ディオクレティアヌスの没後、このテトラルキアが徐々に崩壊していく事になります。
そして、コンスタンティヌス(位306年~337年)→西方副帝だったが有力者となり、324年唯一の皇帝となります。
しかし、コンスタンティヌスの没後、再びテトラルキアによって統治が行われます。
統治を行ったのは、テシオドス帝の2人の息子。
395年、ローマが東西に分かれて統治されます。
最後のお話にいきましょう!
西ローマ帝国の滅亡です。
西ローマ帝国滅亡
はじめに、ここでのお話はとても短いです。
395年にローマ帝国が東西に分裂後、西ローマ帝国は都をミラノ、そしてラヴェンナへと移します。
しかし、東ゴート人やゲルマン人などによる侵攻を受けます。
そして・・・
476年、ゲルマン人傭兵隊長のオドアケルによって滅ぼされることになります。
「西ローマ帝国」の滅亡です。
大まかにご説明しましたが、以上が古代ローマ時代の流れになります。
まとめ
古代ローマ時代の始まりと終わりについてお話させていただきました。
一般的に、紀元前753年から紀元後476年までが、「古代ローマ時代」とされているんでしたね。
時代の区分としては、4つに分かれていました。
・ローマ建国(紀元前753年~紀元前509年)
・共和政ローマ(古代ローマ共和国)(紀元前509~紀元前27年)
・ローマ帝国(帝政ローマ、ローマ帝政期)(紀元前27年~紀元後476年)
・西ローマ帝国滅亡 (紀元後476年)
区分ごとにその時の有名な事柄を抜粋させてもらいました。
そして、建国が始まってから、滅亡に至るまでにどのように統治が行われていた見て頂けたかと思います。
今回は古代ローマ時代について書かせて頂きましたが、古代の人たちが作り上げてきたものがたくさんあります。
歴史を知る一歩にしてみてください♪